三島市在住の画家・塩川晴美さんの個展を開催します。ダイナミックな油絵を中心に、繊細なペン画も展示し、絵画の奥深い魅力を伝えます。
塩川さんは、高校で美術講師として学生を指導する傍ら創作を続け、自分の思いをキャンバスに表現しています。「風景や静物、人物などの既存のものを描くのではなく、自分の心の中で感じたことを表わす手段として絵筆を動かしています。湧き上がる風景を描くことで、心が穏やかになります」。描かれた心象風景を読み解くことができないとしても、作者の鼓動を感じることができるかもしれません。
絵を描き始めたのは、小学校一年生の頃、近所の絵画教室に遊び感覚で通い始めました。四年生からは油絵を始め、絵を描くことの楽しみを覚えました。美大に進み、就職は高校の美術教師。しかし、その後退職し、絵筆を持つことから離れました。三十歳の時に、公募展出品を目指して、再び絵画教室へ通い始めました。二科展に出品、入選を続けます。さらに、講師としての仕事も再開しました。
教えることと自分が描くことは同時にはできないため、帰宅後に絵を描くという生活を楽しむ日々。日本画の岩絵の具である方解末(ほうかいまつ)を油絵の具に取り入れるなどして、画面にきらきらとした表情を添え、独特の作風を確立しています。
地元、南伊豆の土を工夫して使用し、用と美を備えた陶器を発表している倉前幸徳さんの個展を開催します。独自に研究開発した色調とモダンなデザインが調和した作風は、現代の住空間にも映えます。昨年開催したパリの個展では、日本の陶器の存在感を高めました。
倉前さんは、鹿児島県出身で油絵を得意とする学生時代を過ごしていましたが、美大に進学してから陶芸と出会いました。卒業後、大学で助手として働いていた折、当時、活躍していた芸術家の池田満寿夫が南伊豆町の岩殿寺窯で作陶していることを知り、一ヶ月間 手伝いました 。その後、縁あって岩殿寺窯に就職することになり、任された作陶に向き合いながら、豊かな自然の中で、自由な時間も有効に使い、自分の作品を作る環境に恵まれました。その後、独立。工房を構え、各地で個展を開催して作品を発表。現代感覚漂う作風が人気の陶芸家です。
「泥化粧という方法で、作品の表面に採取した鉄分量の違う伊豆の土を塗ることで、微妙な素材の違いが生み出す表情を生かしています。全国の土が気軽に入手できる時代だからこそ、作品に伊豆の土を添えて、自分らしさを表現しています」
南伊豆町の工房の周りには四季折々の花が咲き、花器を彩ります。さらに趣味の釣りで得た魚も映える器。作家の思いの原点には、暮らしの中で息づく陶器があります。
石渡さんは、幼い時から絵画などを通した表現に興味があったそうですが、芸術家としての道を歩むきっかけとなったのは19歳の時。街の画廊で偶然見かけた彫刻に惹かれ、知人の紹介で彫刻家の澤田政廣氏の弟子であった和田金剛氏に弟子入りしました。最後の弟子として道具の種類、扱い、さらに素材となる木材の選び方など、彫刻の基礎を学び、約十年後に独立しました。追及していたのは、風景の中に溶け込むような彫刻。環境の中で自然に受け入れてもらえるような作品です。「ほんの個人的な呟きから出発した作品が、社会の中でどのような意味を持ち、何が可能か。そんな思いをいだきながら、表現の神様を探す途方もなく長い旅を続けてきました」と語ります。彫刻という長い歴史のある手法を用いながら、常に新しい表現を求めて取り組んでいる石渡さんの新作をご覧ください。
高い技術力による存在感のある作風で、白日会、日展などで活躍中の洋画家・髙梨芳実さん。さんしんギャラリー善で2回目の個展を開催いたします。
写実的でありながらその中に、奥行きを作り出す置き換えが存在するという、絵画の持つ魅力を改めて伝えます。それは確かなデッサン力が生み出す技であり、伝統的な様式が基礎にあり、デジタルなどの様々なテクニックによるものではないのです。幼い日のように、絵を自由に描くことができたら、という思いをわかりやすく分析する髙梨さんのギャラリートークも開催予定です。
北海道で生まれ、東京で絵画を学び、画家としての道を選んだ
髙梨さんは、1995年から伊豆にアトリエを構えています。公募展への出品、個展開催などの傍ら、その頃より始めた肖像画製作はすでに300枚を超えました。「誰が見てもそっくりではあるけれど、生々しくはない」という状態が目指す域と語っています。前回に引き続き今回の個展でも、人物、静物と共に、近年描いた肖像画150枚を一堂に発表します。
造形的な陶器をはじめ、ダイナミックな陶壁、日常使いの器など、創造性豊かな作品を発表している陶芸家・永澤永人さんの作品展を開催します。永澤さんは兵庫県豊岡市出石(いずし)町の出石焼窯元の家に生まれました。幼い頃から接していた家業を選ばずに、大学ではデザインを専攻します。在学中に帰郷し、父・故三世永信氏の陶芸を改めて見つめ直し、自身が学んでいた平面的なデザインではなく立体の造形美を再認識し、再び大学に戻ります。この時に「かたち」のとらえ方を学ぶために彫刻家の故柳原義達氏の薫陶を受けて、新たな創作の方向を定めました。卒業後はデザイン、彫刻を踏まえたうえで、父に師事し陶芸家として本格的に修行しました。
1974年、故郷を離れ、縁あって伊東市保代にアトリエを構えます。好きな言葉「守破離」を基に陶芸家の道を歩み始めました。
1985年に伊豆高原に窯を移してからは、「常に在野に徹し、愚直なまでに世に迎合せず、不器用な生き方を貫いています」と語ります。近年、「あかりシリーズ」や「終りから始まりへシリーズ」のように陶片を重ねたリズム感のある作風も発表。独創的な作品であるからこそ、常に見る人の感性で楽しんでほしいという永澤さんのメッセージが込められています。
鳥の巣は、自然の不思議と、
物を作るということの
根源的な意味を感じさせてくれます。
鈴木まもるさんは、ぬくもりのある筆致と色彩が魅力の作風で知られる絵本作家であり、繊細な描写で鳥の姿や巣を描く鳥の巣研究家でもあります。創作活動の傍ら、野山で使い終わった鳥の古巣を見つけ、その造形的魅力にとりつかれて収集と研究を続けています。「鳥の巣の不思議を知ることは、命の不思議と自然の不思議を知ることなのです」というように、各地を尋ね、鳥の生態だけではなく、巣に焦点を当てた研究を重ねています。
1998年に、東京新宿のギャラリー高野にて、日本初の「鳥の巣展覧会&原画展」を開催。その模様はNHK教育テレビ(現Eテレ)「新・日曜美術館」でも放映され反響を呼び、2002年には、ニューヨークで初の海外展を開催しました。鳥の巣が構造的に理にかない、無駄がなくシンプルで美しい造形物であり、地位や名声のための造形ではないということを、言葉と国境を越えて伝える展覧会となりました。以後、各地で展覧会が開催されました。
今回は、クモの巣から糸を取り葉を縫った巣、羊の毛をフェルト状にして寒さを防ぐ巣、襲われないように偽の入口のある巣など、鳥が作ったとは思えない不思議で美しい鳥の巣約20点と、それらを作った鳥たちを描いた絵画約30点を展示します。
摩天楼
写真家の春日広隆さんの作品は、「見えるものの奥に感じられる精神世界」を表現しています。その作風に最も大きな影響を与えたのは、奥深い趣味を楽しんでいらしたご両親の芸術を愛する生き方です。8歳の時にお父様から頂いたカメラで撮った写真を暗室で現像しているとき、「肉眼で見たものが後から確認できることだけではなく、現実より広い世界が心の中に広がること」を経験。さらに、水彩、油彩などの絵画を晩年まで楽しんでいたお母様の作品を見て、見えるものの奥にある『見えない世界』を表現していると気づき、「現実の風景そのものではなく、そこから感じられる宇宙に働く生の力」を写真で表現することが始まりました。
かつて、お父様が短歌を作る際、言葉を選んで情緒豊かに心を表現する姿から作品を創作することへの楽しさと苦しみを感じた春日さんは、自身が撮影した風景を作品として完成させる作業、色彩を意識的に削ぎ落とすモノクロームの抽象表現が似ていると感じるそうです。単純に白と黒ではない、グレーの諧調だけを使ったシンプルな表現と究極とも言える写実性が同居する作品から視覚を越えた世界を感じる、それが春日さんの写真の魅力です。長い海外生活に始まった雄大な自然との触れ合いを求めて、現在も年に2、3回海外を訪れ、作品制作を続けています。
宇宙に働く「生の力」を表現する写真芸術
学生時代、勉強の合間に旅したアメリカ西部。
宇宙を感じさせる広大な空間、手つかずの大自然、済んだ空気、表情豊かな光と影。
私は魔法にかかったようにすべての虜になり、砂漠の中にある小さな町に移り住みました。
帰国後も西部を定期的に訪れていますが、その光や風を肌で感じると、
故郷に戻ってきたような気持ちになります。
早春の光が漂うような
「抽象画を見るときには直観が大切。どのように感じてもよいと思う」と語る画家・菅沼稔さん。多くの著書もあり、制作に対する真摯な姿勢は文章でも表現しています。作品のタイトルは具体的な名称ではなく、制作順としてのナンバー表記。具体性を避けることで、見る人の自由な感性を引き出すような存在感のある作品をご覧ください。
菅沼さんは東京藝術大学で油絵を、同大学院で版画を専攻し、以後は高校、大学で教鞭をとる傍ら、創作活動を続けています。壁画を思わせる大きな作品も多く、プロフィール写真にもあるように絵と向き合いながらダイナミックに表現しています。
芸術の世界に触れたのは中学時代でした。陸上部に所属していた時に体を痛め、運動から遠ざかったときに遡ります。「偶然に手にしたゴッホの画集を見て、色使いに感動しました。中学時代の美術の授業で先生(故相沢常樹氏)が自分の絵に一筆加えてくださった時、わずかな差し色が発する効果の衝撃から絵画の世界に興味が湧き、次第に美大を意識するようになりました」。油絵専攻でしたが、大学三年の頃に銅版画の魅力に惹かれ、版画の制作を続けていました。しかし、三十五歳の頃に『大きなものを作りたい、体を使った表現方法を』と、再び油絵の直接的な表現に戻ります。色を重ねていく手法、描くものだけではなく、額なども含めて具体的なものをはずし、筆を使わない独自の技法で創作が始まりました。絵画のなかで色はとても重要な要素だと語る菅沼さんは、色を重ねながら透明感のある表現を伝えています。