自然に対しての純粋な感動を絵画として表現
キャンバスに向かう気持ちを「自分の歌を歌う」と表現する柏木俊秀さんの個展を開催します。風景の中に感じる生命力を自分流の表現で描き続け、色を重ねる独特の手法など、ダイナミックな作品を発表しています。「手元にある作品は、常に手を加えていきたいと思っています」と話す柏木さん。82歳になられた今も、三島市の佐野美術館友の会の洋画部で講師として活躍中です。
画家であったお父様の影響を受けて、多くの著名な作家の作品を見る機会に恵まれていた幼少期。それは、戦火を逃れるために柏木家へ預けられた名作でした。小学生の頃は、韮山の野山で多くの時間を過ごしたという柏木さん。勉学よりも絵画に興味がある少年でしたが、卒業の時にお父様から油絵道具一式を贈られたことが人生を大きく変えました。「あの春は、いちばん明るい春だったような思いがあります。その後、私の描いたものに対して、時折、父からアドバイスももらうようになりました」
独学で始めた油絵でしたが、三十歳の時に独立美術協会展に出品を始めます。さらに、ヨーロッパで過ごす機会に恵まれました。なかでもスペインの建築、人々の営みなどに惹かれ、多くのスケッチを手に帰国し個展を開くようになります。
「外国の風景を描きながらも、幼少期のあの野山で過ごした記憶が作品の原点にあります。山の急斜面で黄金色に輝いていたススキの群生は美しかったのですが、日没後に色が消え、色彩の奥にある根源的な美(自然の生命力の偉大さ)を感じたことが忘れられません」
「絵師」長橋秀樹さんの作品は、見る人の心に様々な思いを届けています。瞬間的に響くのは清々しい印象の透明感のある色調、近づくと、今にも動き出しそうなリズミカルな躍動感。絵画の世界を広げてくれる新鮮な感覚が伝わります。読み取れる筆致の奥に、何かが見えるような感覚、「見ることから演じる側に立って、絵画の世界を楽しんでください」という作者のメッセージが聞こえます。
長橋さんは高校時代、サッカーに明け暮れる日々でしたが、美術の時間は楽しかったと振り返ります。突然、3年生の時にスポーツ系の大学ではなく、美術大学を目指すことになり、沼津美術研究所へ通い、絵画の基礎を学びます。その後、浪人の末に東京藝術大学に進学。在学中に故榎倉康二氏に師事することで現在の作風の基礎となるものが確立されました。大学在学当時より個展やグループ展に数多く参加し、同大学院を経て現在は、作品展を重ねながら、常葉大学で初等教育を目指す学生の指導をしています。写真をベースとして、その上に長橋さんの感性が重なり合う作品をご覧ください。
蠟染の可能性を追求して描く独自の世界
染色家の鈴木敬子さんは東京藝術大学で蠟染の第一人者、暮田延美教授の指導を受けることにより、在学中から公募展に出品するなどきものの創作に励んでいました。防染に蠟を使用する蠟染で繊細な模様表現をするには、高度な技術を要します。適度な温度調整による蠟の筆致が細密なデザインには欠かせません。湘南高校時代から培った確かなデッサン力による構図に個性的な彩色を施した作品が特徴です。その後、新匠工芸会に所属し、独創的な作品を発表。きもの、額装、タペストリー、屏風など様々なスタイルで発表しています。大学院卒業の年に金属造形家の鈴木丘氏と結婚。1979年に鈴木氏が文化庁芸術家在外研修員に選任されたため、ドイツへ同行。ヨーロッパを車で回り、絵画、彫刻、建造物を数多く見て学んだことが創作へのモチベーションとして確立していきました。
大学時代に長谷川等伯の『松林図屏風』に表現の無限性を感じたという鈴木さんは、松をモチーフとした作品を多く手掛けています。自身で制作した松模様の振袖は、花嫁衣裳に。ローマ近郊のオスティア アンティカの風景に添えたイタリアの松、沼津の御用邸の松と海の波を描いた屏風など、蠟染の技法を生かしたモダンな作風が魅力的です。
陶芸家・土屋典康さんは、1971年に下田に築窯をして以来、個展を中心とした創作を続けています。大学在学中に多くの人との出会いがあったことで、陶芸を学ぶ道を選び、その修行の地を益子に決め、人間国宝の陶芸家・島岡達三氏に師事しました。「恩師、友人、兄などから作品を生み出す心の有様、茶道の精神、文学の本質など、多くを得ました。特に、親友が浅川伯教・巧兄弟と親戚だったことが大きく影響し、李朝の陶磁器に興味を持ち、民芸の研究家である柳宗悦氏の『眼』にも多くを学びました」。
その後、お父様の出身地であり、疎開して高校まで過ごした土地・下田に築窯したのです。日本のみならず、海外での個展も多く、交流が広がりました。そのなかで、日本文化研究の第一人者であるドナルド・キーンさんとの交流も30年近く続いています。
1987年に韓国に磁器の研修に行ったことにより、自分流の磁器の作風にも取り組み始めました。「大らかで豊かさを感じさせるものが好きで、磁器も陶器と同じような気持ちで作っていきたいと思っています。もう一人の師として仰ぐ方からの言葉である『その物を創らなければ、死ぬに死ねない気持ちでこの道に入ったのか』という問いに答えられるように自分の創作を高めていきたいと考えています」。銅彩や鉄砂などの技法を独自の手法で研究した作品も手掛けており、豊富な作風には定評があります。
南伊豆町在住の陶芸家・武田武人さんは、空間の中で主役となる独創的なデザインの作品を発表しています。幾何学的な造形は、ロクロ成形の後にたたいたり、削ったりして多面体にします。紐造りや型おこしの技法も使います。釉薬は楽焼の低火度釉、ペルシャ陶器由来のトルコブルーの釉、九谷焼の色釉や赤絵など。対照的に粉引で白く仕上げた作品も多く、立体の造形が際立っています。
「使い手が生活の中で楽しむことができるようにという発想で、日常使いの器を作っていますが、形の面白さや色彩の新鮮さなどを盛り込んで、丁寧に自分のイメージを創り出しています」という武田さん。素材への研究心を持ち続けながらも、実はシンプルな材料でも、オリジナル性のあるデザインを重視した作風を手掛けています。意外な取り合わせ、数学的な整合性、そして、何よりもできたものが健康的であることが伝わります。
武田さんが陶芸に興味を抱いたのは、東京芸術大学在学中に『東京オリンピック記念国際陶芸展』で世界の陶芸作品に出会ったことでした。当初はデザインの分野を目指していましたが、日本だけではなく、世界の陶芸作品に感銘を受け、陶芸家への思いを強くしたそうです。それぞれの特徴を踏まえながら、独自の陶芸の世界を展開し、装飾品だけではなく、生活に即したデザイン性を大切にした新作を毎年、個展で発表しています。
金工家の竹川欣秀さんは、伝統の技術を用いて絵画的な世界を展開し、独創的な作品を発表しています。江戸時代から続く金工の春涛派の三代目として活躍していた父・輝信さんは、欣秀さんが幼い頃にブラジル・サンパウロに家族での移住を決意。異国で家業を手伝う少年は、10歳の時にはすでに彫る技術を身に付けていたそうです。幼い頃から世界的現代アートイベントである「サンパウロ・ビエンナーレ」を見て育った竹川さんは、大学で版画、現代アート、美術評論などを学びました。そして、24歳の時に家族で日本へ帰国。帰国後、代々伝わってきた「鍛金」の技法のひとつである「打ち出し」のレリーフで芸術活動が始まります。「鍛金」は、金属を温め、柔らかくして、何度もたたくことで、形を創り出す手法です。「打ち出し」は裏からたたいて、立体感を出し、表は表情豊かに仕上げるために、さらにたたき、イメージする形を作り上げます。作品によっては、1600時間以上かけて仕上げることもあるそうです。
近年は、自然の豊かな伊豆高原に工房を構え、主に日本の四季折々の自然をモチーフとした作品を手掛けています。今回出品する作品のなかの「さくら」は、花、葉、幹と、それぞれの質感の違いを数本のタガネを使い、みごとに表現しています。また、その背景は、ぼかし風の余韻のある表情に仕上げました。微妙な配色に仕上がった、美しい金属の表現を会場でご覧ください。
詩情豊かに語る、
美しい風景を描き続けて
20年前から長泉町駿河平にアトリエを構えて創作を続けている
山羽斌士(やまばひとし)さんの作品展を開催します。透明感のある色彩が特徴で、見る人の心に優しく語りかけるような心象風景画家として多くのファンを魅了しています。「見たものをそのまま表現するのではなく、自分の色彩に置き換えている」と語るように、キャンバスの中には、山羽さんの色彩の世界が展開されています。
高校までを名古屋で過ごし、東京藝術大学に入学、大学院では壁画を専攻し、卒業後も助手として研究を続け、その後、創作活動に入ります。初期の作品には、人物が描かれており、「家族絵日記」シリーズとして、家族と故郷の農村の風景、動物などを表現していました。家族への愛情が注がれている作品ですが、パターン化したと感じたときに、潔く新たな方向に転換します。九州などへのスケッチを通して、広大な風景を描くようになりました。発表の場が広がることで、日本各地へ出向く機会や、さらにスペインに滞在する機会も得ます。穏やかな人柄であるために同級生や先輩など多くの人の縁に恵まれ、人生の節目節目に様々なチャンスを得て、更なる発展を遂げました。
あるとき、山羽さんはひとつの絵の具との出会いにより、ブルーの領域が広がり、その色彩の魅力を発見します。「風景を通して自分の領域を考える」というように、心に捉えられた風景は、様々な色調のブルーが語りかけています。現在はブルーの領域は以前より少なくなりましたが、留まることをしない今後の展開も注目されています。
日本画家の吉田多最(たもつ)さんは、絵を描く事の意味を問い続けながら制作、「絵画は見えない空間を、物を描く事で見えるようにする空間表現です」と語ります。作者の意図するものが、見る人と共感し、心の中でそれぞれに捉えられ、豊かな心となる、その奥ゆかしい作風には画格が漂い、安らぎを感じさせます。
大学時代から日本画家・加倉井和夫氏に師事、七年間絵の具解きをしていました。「絵描きは学ぶ人であって、教える人になってはいけない」という、師の教えを信じて、多くを学び、自信になっていったとのこと。独立してからは日展に出品しながら独自の世界を確立し、現在は、個展を中心に作品を発表しています。
近年の代表作に、2014年に完成された襖絵があります。曹洞宗天平山禅堂東室客殿(米国サンフランシスコ)の建立に際して制作した16面20メートルの襖絵は、日本国内で展示発表し、2015年に米国に運ばれます。題材には、伊豆を歩いてスケッチした若松や樹齢を重ねた松などを選び、壮大な襖絵が完成しました。ここにも、空間表現が生かされており、吉田さんの「物の表現の有り様で空間の質も決まる」という意図が込められています。